【新譜発売】フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー (ピアノ)『シューマン:謝肉祭』

巨匠 シュヌアーによる貴重なシューマン・プログラム


マイスターミュージックより、ドイツ・ピアニズムの伝統を受け継ぐ巨匠シュヌアーが遺した、貴重なシューマン・プログラムが到着。

DSD[5.6MHz/1bit] FLAC[96.0KHz/24bit] AAC[320kbps]


曲目について<F.W. シュヌアー>


 よく知られているようにロベルト・シューマンはその音楽を生き生きとしたものにするために、しばしば文学や劇の中あるいは現実の社会の中の場面や人物といった音楽以外の印象を様々なやり方で用いている。例えば私たちは、彼の最初の大きなチクルスである《謝肉祭》Op. 9(1934年から35年の成立、各曲の番号は成立年代順にはなっていない)において、まさに色とりどりの絵草紙の中でたくさんの人物……創作されたもの(ロレスタン、オイゼビウス)と実在のもの(キアリーナ=クララ・ヴィーク、エストレッラ=エルネステイーネ・フォン・フリッケン、ショパン、パガニーニ) とを取り混ぜて……と出会い、あるいはコメディア・デラルテの人物たち(ピエロ、アルルカン、パンタロンとコロンビーヌ)とも出会うことになる。そして、これらの人物たちが立ち振る舞う枠組みをなすのが仮面踏会なのだが、それをシューマンは当時の婚約者であったエルネスティーネの生まれ故郷であるボヘミアの町アッシュで見たことがあった。このアッシュASCHという町の名の綴りは音名として音符に置き換えられ、それが動機的な導きの糸となって作品を構造的にまとめている。その他の点に関してはこの作品はもちろんカルナヴァルにふさわしく自由で柔軟な形式によるものであり、不意の出来事やエキセントリックなものに満ち満ちていて、悪ふざけと大まじめ、イロニーと親しげな感情が織り合わされている。演奏する者の心の中には、ファンタジーと造形する喜びとが湧き出してきて尽きることがない。それゆえ、私にとってこの壮大な作品を弾くことは60を過ぎた今となってもなお、つねに新たな体験となっている。

 この「謝肉祭」の最も美しいエピソードのーつが、シューマンが尊敬し親交を望んだ(実現はしなかったけれど)ショパンへのオマージュだと私は思っている。これはあまり知られてはいないが、シューマンはこの頃に《ショパンの夜想曲の主題による変奏曲》を構想していた。それは残念ながら完成されることなく終わり、断片だけが残された。そのフラグメントに、ヨアヒム・ドラハイム。Joachim Draheimが注意深く8小節を付け加えたものが1992年ブライトコップ社から出版された。私の知るかぎりでは本アルバムが初録音ということになる。

 1832年に成立した《即興曲》Op. 5の正体は一連の変奏曲である。さしあたり変奏されるのは、当時やっと13歳になったクララ・ヴィ一クの可愛らしい〈ロマンツェ〉の、メロディーではなくそのバスで、そのバスは、ベートーヴェンのエロイカ変奏曲に倣って初めにただ一度だけ提示される。この曲を弾いていると次第にヴィルトゥオーソ的な演奏の喜びとポエジーが湧きあがってきて、すぐれた技巧によって対位法的に書かれたフィナーレ(quasi satira)と、テーマが言わば消えてなくなってしまう思いがけないコーダヘと心は高まっていく。後の改作(1850年)でシューマンは、この非常に独創的なコ一ダと他のいくつかの部分の処理の仕方を変え、2つの変秦(第3と第10変奏)を完全に削り、その代わりに新しい第3変奏を挿入している。この改作によって作品全体の完結性が増したのは確かだけれども、今回の録音に際して私たちはあえて最初のヴァージョンを使用することにした。そのいちばんの理由は、ここに選曲された他の作品と成立年代が近いということである。

 《ベートーヴェンの主題による自由な変奏形式の練習曲》と題された練習曲集の成立年代は、ここに収録されているシューマンのピアノ作品すべての成立年代と重なり合っている。この練習曲集には1831年と32年に成立した、部分的にしか一致しない草稿が存在し、シューマンがかなり集中的にベートーヴェンの作品に取り組んだことを示している。後に(おそらくは1835年)なってシューマンは完成された清書譜について語っているが、この清書譜は今のところ見つかっていない。ロベルト・ミュンスター Robert Münsterは全部で15曲の作品を原資料から収集し1976年にヘンレ出版社から刊行した。その際にミュンスターは演奏順序を提案しており、それが信頼できるものと私には思われたのでこの録音にはその順番を変えることなく借用した。ベートーヴェン第7交響曲第2楽章のテーマをシューマンは特に気に入って手放さなかったが、ここには第7交曲第1楽章、第6の第2楽章、第9の第1楽章によるモティーフもかすかに現れてくる。輝かしい演秦技巧と憧れに満ちた追想とが入り混じったこの練習曲集は、天才シューマンがもうー人の天才ベ一トーヴェンに捧げた熱烈な讃美の、感動的なまでの証といえるものだろう。


演奏家プロフィール   


フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー(1929-2017) 

 1929年、ドイツのゲッティンゲンに生まれる。7才よりピアノを始め、のちにエドウィン・フィッシャーの高弟クオイツに師事。国立デットモルト音楽大学入学後は、ハンス・リヒター=ハーザーのもとで学ぶ。53年、演奏家資格試験に最優秀の成績で合格、コルトー、ケンプ両師のマスター・クラスで学んだ。59年、ミュンヘン国際音楽コンクールで第1位を獲得。以後国際的な演奏活動を続ける。

 58年より、母校ドイツ国立デットモルト音楽大学の教授となり、82年より93年まで、同校の学長を務めていた。彼に師事した日本人ピアニストも少なくない。また日本のベートーヴェン研究の最高権威であった故児島新校訂の「ベートーヴェン・ピアノ作品集」(春秋社刊)において、運指を担当。

  86年に初来日、各地でリサイタルと公開レッスンを実施。88年には日本ピアノ教育連盟の招きにより、第4回全国研究大会「ベートーヴェン」に出演。91年には「草津音楽祭」に招かれる。94年に日本ピアノ教育連盟の招きにより、ブラームスのテーマで特別講演及びリサイタルを行なう。その他演奏会、講演会、公開レッスンと精力的に活動、日本のピアノ教育界に大きく貢献した。